Voice of Ishizeki Miho
当然のことですが、ダンスの舞台も照明や音響、舞台監督から映像、受付などのスタッフがいて成り立つものです。長年セッションハウスで照明を担当してしている石関美穂から絵画との関係からか考えたユニークな声が届きました。
『これはなんでしょう』 石関美穂
私は神楽坂セッションハウスでダンス中心にいろんな公演の照明を1997年から担当しています。明かりについて思うことをお伝えしようと思います。
照明の仕事は「明かりを@どこにAいつ当てるかをきめて、やる」この2点だけです。今回は@についてです。どこにあてるか…「明かりをあてるところ」は観客の視線を誘導することです。これは画の見どころ=目の前の光景が何なのかのヒントをつくる作業です。
その昔、照明効果を勉強する時に、レンブラントやカラヴァッジョなどの絵画を観察するよういわれ、意識的に見ていた時期がありました。その中で自分にとって印象深い絵があります。作者も題名も思い出せないので重要だという割には心許ない話ですが、それは婦人のバストショットの肖像画でした。
若くはないが肌は白くきめ細やかで、首には宝石の首飾りがかけられていました。通常の肖像画らしくないのは、顔より胸元と首飾りが明るく描かれていたことでした。あくまでも肖像画なので顔の造作はわかりますが確かに目線は胸元と宝石に行くように導かれる光の表現だったのです。ここで、婦人の絵は自分の中でドラマを持ち始めました。…裕福な顧客の肖像画ならば2倍3倍増で顔を描いてもおかしくないのに作者がそれをしないのは、お肌や身につけているものが整っていてお金がかかっていそうなことを強調し「私の顧客は富裕層ではあるよ」という皮肉なのか、または「この人は美人ではないけどお肌は宝石をつけても劣らないほど綺麗なんですよ」という称賛なのか…読み解き方によって描かれている女性のキャラクターも変わってきて、一枚の絵から妄想が広がる感覚がとてもエキサイティングでした。
このとき、明かりづくりは、この逆の作業だ、と思ったのです。照明は「ものがこう見えるときは、どんなときでしょうか?これはなんでしょうか?」というきっかけであって、見る人によってことなる想像力に火を点け、解釈という謎解きをブーストをする、そういう働きができたらいいなと私は思っています。
自分はあくまでも明かりはブースターだと思うので、野天や素明かりで成立するパフォーマンスが、古い例えだと北島マヤが体育館で行った一人芝居のように、演者の力をあらわすものとしてはベストというか最強なのだろうと思いますが、最終的にはその作品で何がしたいかによりけりなので、必要とあらば音照その他スタッフと一緒に妄想をぶつけあいもみあってお客様に向かっていきたいです。
これからもセッションハウスでダンスをはじめパフォーマンスがもりもり行われていくことでしょう。
作者・スタッフ・観客からのたくさんの妄想が立ち込めとけあう現場に立ち会えるのが楽しみです。
石関美穂
ヴォイス・オブ・セッションハウス2024より抜粋