セッションハウス アニュアルレポート2018 奥山ばらば
「間術」
奥山ばらば
ソロとして一点として踊ることに楽しさを感じ始め、ただひたすらに踊ってみたい、近年湧くそんな願望も乗せて、昨年はセッションハウスにて単独のソロ作品を発表させていただきました。そして、様々なダンサー、振付家の皆さんとの交流をいただく中で、舞踏と呼ばれる身体表現をやって来たこれまでの自分のカラダに新たな可能性を探ってみたいという欲求が深まってきています。その上でこれまでの自分のカラダを振り返って見つめてみることも必要なのではないかと感じています。
内燃しながらただじっと在るカラダ。ひたすらの かたまり。絞り込むように粘着する肉体。カラダを舞台に立たせる一つの方法として意識し取り組んで来ました。肉体とは磁力を発すると思います。それは、強く視線を集める力で、しかも視る対象から距離もとらせる力です。意識的な「視る」という行為の的になる かたまる肉体 には、視線は離れながらに集まってくるように思えます。「離れながらに」、書物を紐解けば、刑場に向かう死刑囚の歩行や、叩きのめされている犬に浮き出たあばら骨、など本当に近寄りがたい距離を置いて視つめてみたい存在の例が挙げられたりしますが、かたまる肉体 は現代においても離れながらに集中観察されることで活きるという実感があります。肉体が心おきなく磁石となりかたまるには磁場を放てる広さと距離が必要です。
分野に限らず様々な舞台を観に行くのが好きです。敬意を表する舞踊家の方の作品には、思いっきり打ちのめされたいと思って観覧に伺ったりもします。また、強い磁力を発しながら舞台上で佇む役者さんを発見した時などは、これこそ舞踏だ!と心の中で叫んでしまったりもします。舞踏の外に舞踏を見つける、そんな視点も心掛けたいと思っています。そして心を揺さぶられる感動的な作品や圧倒的な興奮を覚えた公演などを観た際は、よくある話ですが時間の感覚がおかしく感じてしまうことがあります。
客席から視る、舞台に立って逆に視られる、その両方の立場を通して感じるのは、驚きや感動、喜び、悲しみなど視る側の認識・心象さまざまな変化で、その視線の太さが太くなったり細くなったりと変容しながら舞台上に注ぎ込まれているのではないかということです。踊り手の例えば指先に集まったその認識視線たちの太さが伸びたり縮んだりすることによって、その場の1メモリの1秒がただの1秒ではなくなってしまう、重くなったり軽くなったり、深くなったり浅くなったり、そんなことが起き続けているような気がするのです。
踊り手はカラダに集まる視線の太さを一振りで膨らませたり縮ませたりしてしまえる。
踊り手は時間を操ることが出来る人種なのではないか。
魔術師というか間術師。
踊りに対する私の現在の考えを一言で言うとこんな言葉に届きました。今後どういう風に言葉が変化してゆくかを楽しんでゆこうと思います。
奥山ばらば
セッションハウスアニュアルレポート2018より抜粋
写真は2018年6月23日、24日上演
奥山ばらばソロ公演「サソハレテ」