ヴォイス・オブ・セッションハウス2020 近藤良平
近藤良平「この一年、何が変わったのだろうか?」
2021年3月も終わろうとしているが、生活のペースはまだ昨年となにもかわっていないというのが率直なところです。ぼくの環境というのは、ダンスであり授業でありワークショップであり、ほぼほぼが「人とのふれあい」によってなりたっています。それだけ聞くと犬や動物たちとのふれあいのように聞こえるが、ここで使う「ふれあい」は、ものを考えたり行動することそのものです。
昨年の2月の中頃、リンゴ企画「オリジン3」の通常公演以降はすべての公演は中止となった。緊急事態宣言が発令以降は、WSも中止、みなさんと同様に、粛々とする生活となりました。最ものしかかったことは「ディスタンスをとる!」ということ。これはぼくの人生の教科書にはない項目でしたので、からだが悲鳴をあげました。「ふれあい禁止!」は人生の80%くらいは失ってしまったような錯覚に陥りました。あの当時はだんだんと夏になっていく感じがかえってつらい日常を感じました。もともとは旅やキャンプなど「制限の中の行動」「貧窮や困った時の生き方」に対しては自分は強いはずでした。
でもこの先が読めない世の中には、正直ばてまくりました。「人生の工夫」がなかなか思いつきませんでした。そんな中で、「ZOOMによるワーク」「オンラインによる発表」「Twitterによる映像配信」「コンドルズ内で自宅撮影での映像作品」「曲作り」など次々とアイデアが生まれこなし始めました。正直この人間が持つ生命力、叡智はものすごいと思います。世界中で次々と映像を使いこなし、生きている兆しを証明し、特に舞踊や音楽といった表現手段が爆発的に増えた気もします。自宅で踊るもの、自然の中やサイバーな空間で表現するパフォーマーなど。面白いものから眠くなるものまで。今現在は「無観客公演」という言葉も普通となったが、そもそも「人のいない公演」はおかしい。実際に我々は、無観客やカメラの前で、右往左往してしまう。「自分はなにをしてるんだろう!?」と。そんなところまで原点に落とし込まれた先は、もう明るさの兆しをさがすしかない、今年になって感じているのはそんなことです。少し時代のズレがあったら、今のようにネットもなく、テレビもなかったら、ラジオに殺到し、音楽を貪るように聞き、からだの日記も書き続けただろう。現在は今の方法でがむしゃらに生きるしかないのでしょう。
今年になって2月の「リンゴ企画」ではマドモアゼル・シネマとコンドルズの共演で『昨日・今日・明日』という大きなタイトルで、作品をリアルタイムで創作しました。事実そこに「ある」からだの動きや質は、やっぱり美しいなとつくづく思いました。そして色々な表現であり見せ方であり、観る方法が生まれてきますが、やっぱりコツコツと行う「生」がよいなと実感しました。100年200年たってもはしゃいだりする人間の営みは興味深く、消えていかないものと信じます
近藤良平
ヴォイス・オブ・セッションハウス2020より抜粋