ヴォイス・オブ・セッションハウス2020 ガーデン活動報告
ガーデン活動報告
セッションハウスの2Fギャラリー【ガーデン】では、2020年も自主及び共同・協力企画のほか、レンタルの展覧会、トークの会、クロッキー会などの活動の場となったが、コロナ禍で緊急事態宣言下のため中止または延期となった企画も続出した。
自主及び共同・協力企画の軌跡
2020年
2月4日〜8日 第4回わわわ俳句展(T)
2月11日〜16日 近藤さん家の楽器展
3月11日〜22日 ツーゼ・マイヤー展「Changes」
3月26日〜4月2日 第38回修羅譜展(主宰:石田貞雄)
7月3日〜15日 巴里祭に寄せたアート展(T)
8月12日〜16日 dancecafe舞台写真展
8月17日〜23日 神楽坂・夏の夢展(T)
9月29日〜10月7日 鈴木聖峯展(T)
11月1日〜3日 20歩展
11月18日〜25日 市野裕子展「ゴブリン〈足下の子供たち〉」
11月28日〜12月8日 ノエル展(T)
12月9日〜13日 第11回アトリエ・ロゾー展
12月15日〜20日 それぞれのWorks展(T)
※(T)は演劇美術社の豊田紀雄氏の制作企画
※吉田卓史主宰のクロッキー会は25回開催
※渡辺一枝トークの会「福島の声を聞こう!」は2月、11月に開催
【ガーデン】も新型コロナウイルスの感染拡大の兆候が見え始めた3月の修羅譜展の頃から来場者が激減し、それ以降は予定されていた展覧会や朗読会などが延期されるという事態となった。その中でも感染予防対策を講じていくつかの展覧会は開催されたが、模索を続ける1年となった。その困難な状況の中で、クロッキー会を主宰し続けてきた吉田卓史さんに、この1年考えたことを寄稿してもらった。
吉田卓史「コロナ禍で絵を描きながら僕が考えたことは?」
僕は、絵を描くために20年以上前に和歌山の田舎から東京に出てきました。セッションハウスでは何度か個展やグループ展、それからクロッキー会をやってきました。新型コロナウイルスの影響で、一時はそのクロッキー会も開催を控えた時期もありましたが、今は参加していただいている皆さんやモデルであるダンサー達の協力のもと、もしかしたら以前より緊張感のある場となっているかもしれません。というのもバーチャルなモノが現実にとって変わりつつある世界で、この様な状況だから尚更、実際に物理的にも存在するモデル(人間)を観察し、描くことの大切さをそれぞれが感じているからかもしれません。ライブですから、とても感情に直接響く体験で、それぞれのダンサーから受け取る描く為の情報はとても貴重です。カタチや動きだけでは無く、例えば質感、体温、呼吸、また感情などが伴った存在であることを実際に感じ、描くことで沢山の発見があると思います。感染が拡大する中、このクロッキー会は、以前にも増してとても素晴らしい緊張感と共にやってこられたかなと感じます。
また、僕自身の身の回りの変化といえば、実は大して変わったことは無くて、というのも、もともとギリギリの生活ですし、いつか良い絵がかけるようになりたいと思いながら、東京にいるわけです。ただ以前より自分がここに在る目的や動機、それから
本当に本当に大切だと思うことは何か?ということを考えるようになった気がします。それは約1年、ヨーロッパ大陸でバックパッカーをやっていた時から感じていたこと、リュックに入るモノは限られていて、それは意識の上でも同じことで、本当に大切なことを選べたなら、本当はくだらない何かしらを失う不安や執着も無くて済むわけです。だけど都会に居るとそう思っていた気持ちが少しずつ確実に薄れていくように感じるのは、たぶん僕が自分の挑戦すべきこと、本当に本当に大切なことを強く意識することや、あるいはそのためにいさぎよく拒否する姿勢を崩してしまっているからかだと思います。この新型コロナウィルス感染拡大という世界的なピンチが、そういう自分に再び自分が今、ここに在ることの意味、理由を真剣に確認すべきだと考える機会となったように感じています。
吉田卓史
ヴォイス・オブ・セッションハウス2020より抜粋
また、トークの会「福島の声を聞こう!」も一度は延期となったが
11月には人数制限をして開催。そして東日本大震災と福島原発事故から10年目に今年3月21日に36回目を数えるに至ったが、主宰者の作家・渡辺一枝さんに会の寄せる想いを寄せていただいた。
渡辺一枝「福島の声を聞こう!」継続が力になることを願って
「東日本大震災・東京電力福島第一発電所事故」から10年の月日が流れた。私はあの年の夏から福島に通い、被災者の声を聞いてきた。その言葉を雑誌に寄稿したりもしてきたが、私が文字で伝えても、それは「私」というものを通しての言葉でしかないと思った。私に語ってくれた人の声で、言葉で、被災者の思いが多くの人に届いて欲しいと考えた。セッションハウスの伊藤さんに、被災者の声を聞く会を開きたいと相談すると、即座に二つ返事で受けてくださった。
こうして第1回「トークの会 福島の声を聞こう!」を、被災から1年後の2012年3月7日に開いた。それから不定期だが続けてきて、被災から10年目のこの3月には36回目を迎える。
10年経って、被災地の様子は目に見えて変わってきている。高速道が開通し、以前の道も補修・拡幅されて交通の便も格段に良くなった。常磐線も再開し不通だった区間の駅舎も新しくなった。大熊町は立派な庁舎が出来、その近くには復興住宅が建ち並ぶ。他の各地にも、公営住宅が建設されている。住民の避難によって人口減となった町村は学校の統廃合が行われて、そのために新たに校舎が建設された。各地に立派な「道の駅」ができたし、大抵そこには「産業交流センター」が隣接されている。震災と原発事故に関係するようなさまざまな施設「福島県環境創造センター交流棟コミュタン福島」「廃炉資料館」「特定廃棄物埋立情報館リプルンふくしま」も造られた。昨年9月には「東日本大震災・原子力災害 伝承館」が出来た。
メディアは、こうして目に見えるものを取り上げて「復興」の姿として情報発信しているが、こうしたハコモノが造られたことで復興したと言えるのだろうか。それは違う。真の復興は、被災者たちが被災前のような安寧な日々を取り戻せるようになった時を言うのだ。
いじめを避けるために出身地を隠して、今なお避難先で暮す人たちは6万人以上いる。一度避難して戻った人も、以前の生活基盤を取り戻せていない例が多い。医療機関や介護施設の閉所、学校の統廃合、閉店した店舗が多く買い物が不便、バス路線廃止などなど、在住者も生活がしにくくなっているのが現状だ。
「トークの会 福島の声を聞こう!」は、そうした被災者の声を聞くべく続けてきた会だ。
会を続けてきて思うことは、一人一人の体験はみな違っていてそれらを聞くたびに、原発事故の被害の大きさ、深刻さを知る。再稼働など、決してあってはならないと思う。福島の被災者たちが、私たちに警告を発してくれているのだ。原発が全て廃炉となるまで、私はこの会を続けたいと思っている。
※記録集第2弾『福島の声を聞こう!PART 2 あれから10年 9人の証言』近日発売 風來舎刊
渡辺一枝
ヴォイス・オブ・セッションハウス2020より抜粋