伊藤直子『コロナ禍の 3 年目』

ヴォイス・オブ・セッションハウス2021 伊藤直子

マドモゼル・シネマを主宰するとともに、セッションウスのダンス・プログラムのディレクターを担っている伊藤直子が、コロナ禍でどのような想いで公演を実施してきたのか、活動を通して考えてきたことを語ります。

伊藤直子『コロナ禍の 3 年目』

 

誰もがその厄災の中で等しく被災者となったパンデミック!想像もしなかった現実が世界中を襲いました。その中を縫って不要不急といわれながらもダンスという営みを私たちは続けてきました。セッションハウスにおいては、少ない客席は見やすく「床面も見える!」と思いがけない良さもあり、直接お客様と向き合う舞台はダンサーを励まし続けてきました。この事態の中にあって舞台を見るという選択をしてくださる方々の意思を受け止めることは、「なぜ踊るか」という、ダンサー個々の問題意識とも大きく関わってきました。”みる、みられる”という関係から、それぞれが「なぜみるか」「なぜおどるか」と一度問うてから踊り、出会う舞台は、表現するものにとって大事な機会と考えます。

 

 先日、50年近く前に同じ舞台に立ったことのある田中泯さんがセッションハウスで踊って下さるという機会に恵まれました。ジョン・ラッセルさんという即興ギタリストの追悼公演として坂田明さん、池田謙さん、そして踊りの田中泯さんがセッションするという企画でした。企画の大木さんも古い知り合いで半世紀近く以前の記憶がフラッシュバックするような中で観た舞台は、コロナ禍の不条理も吹き飛ばし、人類の本質に迫るものだったと私は感じました。「場踊り」として踊りを踊り、農業をして日々を過ごす泯さんと、ミジンコの研究者としての一面を持つサックスの坂田さん、風の様に木々の様に雲の様に音を満たしていく池田さんのセッションは、音楽と踊る体が同質の、人間同士の駆け引きのまったくないものでした。魂の交感といってしまうと平凡です。1秒を永遠に変えてしまう3人の作業は、それは長い時間に裏打ちされた、それぞれの自分の表現に対しての誠実さの結実なのでしょう。

 

笠井叡さんもそのような誠実があり、近藤良平さんもそのような誠実さを持っています。到達地点はそれぞれに違うけれど、人生という長い年月をかけてその人の誠実を結実させていく踊りという、芸術という、人間の営みにふれた、震えるような体験でした。

 

 カタチにしていく作業、カタチを溶かしていく作業をとおして、あの世とこの世はきっぱりと別れている真実を感じたのは、照明との共同作業から。生きている日々の環境のように静かに変化していく照明。いつの間にか故人を照らし続けていたスポットライトが消え、泯さんの顔がクローズアップの様に迫ってきて、生き残った者の悲哀に共感しました。

 

 私たちは今、オンラインに一筋の光明を見出して活動を継続してきました。これもコロナ禍の中で見つけた一つの方法です。スマホで見たり、遠くの人と繋がる喜びはコロナ以前には知らなかった体験です。見つけたこと、失ったこと、一人一人が大きな体験をしたこの2年間。新しい体験は、新しい時代に伝達すべき大切なことでしょう。そしてそれ以上に生のダンスを体感することは今こそ必要と、コロナ禍で傷んだココロたちに伝えたいのです。この時代に病まずにいることは誰にとっても大変です。踊る者は抱えた闇を勇気をもって届け、共感しあうダンスに変容させる力を探求するのも今ならではの挑戦です。「生の舞台をみてほしい」「あなたのダンスを踊ってほしい」

 

 観客席を半減し、それでも踊り続ける意思を持つダンサーを支えるのは、観る意思を持ち続ける観客の存在です。観客という存在は踊る人間の魂の居場所です。今泯さんの踊りをみて”踊るという行為への希望”を感じられたことは、踊りへのめり込んでいった50年前の若き日の情熱を取り戻せという天の声でもあるのでしょう。3回目のワクチンというこの日に、コロナ後への希望を考えるのも時代の必然。継続の道を、道連れを求めながら歩いていきます。

 

伊藤直子

ヴォイス・オブ・セッションハウス2021より抜粋

 

伊藤直子

マドモアゼル・シネマ「そらがな区」(未来ダンス)

伊藤直子

坂田明(左)・田中泯(右)

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