ヴォイス・オブ・セッションハウス2021 鄭亜美
平田オリザさんの舞台などで演劇役者として活動をしている鄭亜美さんは、在日朝鮮人 3 世として、子供のころから幾多の差別を受けてきました。
しかし、彼女はそれをはねのけ、社会のあちこちにある境界線を越える道を模索しながら歩んできています。2021 年にはマドモアゼル・シネマの公演にダンサーとして参加したのでした。
鄭亜美『越境する身体』
今回、こちらの文章を書くにあたって「越境する身体」と言うテーマをいただいたのですが、 越境する身体とは、まさに伊藤直子さんのおっしゃる「旅するダンス」だなぁと思いました。
「ダンスとは、旅であると思う」『Tokyo ーそらの下で』の稽古中、伊藤直子さんは何度もそうおっしゃられていました。
公演を終えたいま、改めてこの言葉の意味を、実感とともに考えることができるようになりました。
国内外問わず自由に旅をすることが憚られるこのパンデミックの時世にあって、それでも人間は想像力という武器を使って境界線と境界線を跨ぐことができます。こころと身体はいつだって自由なのです。伊藤直子さんは、そのことを皆に伝えたかったように思います。
「越境」とは、国と国、または境界線と境界線を跨ぐこと。旅をすること。ことばも文化も異なる場面に直面したなら多かれ少なかれ以前の自分から変化せずにはいられない。だから「越境する身体」とは、「変容する身体」と置き換えられるのかも知れない。「変容する身体」とは、プロセスの過程そのものと置き換えられるかも知れない。そして、それこそが作品の持つ意味ではないかと思いました。何を作るかよりも、どのように作るか。例えば、伊藤直子さんはレッスン中に本当に色々なお話しをされます。時には踊ることを中断してもお話しをされます。「あなたの望みはなんですか?」これは『Tokyo ーそらの下で』のレッスン初日のことですが、伊藤直子さんは出演者全員にこの質問をされました。初めて顔を合わせた方々同士で、自分の望みを告白することはとても勇気の要ることですが、しかし、恐らく全員が伊藤直子さんの質問は身体と直結する本質的なものだと感じ、竹之下たまみさんから口火を切られ、各々の様々な「願い」のを話していきました。私も胸のうちを話すことは非常にためらわれましたが、メンバーの方々のお顔を見て、正直に話そうと決めました。「普通の生活がしたい」と答えました。
私は在日コリアンとして日本で生まれ日本で育ちました。ルーツは1910年の韓日併合まで遡りますが、親から朝鮮学校に通わせてもらえたおかげでルーツのある朝鮮半島の言葉である朝鮮語/韓国語を学び、文化を学ぶことができました。しかし、一歩学校の外に出ると、罵声を浴びせられ、通学路では制服であるチマチョゴリに唾を吐かれることはしょっちゅうでした。いわゆる日本名(通称名)を使わないため、高校生の頃からアルバイトは電話口で断られますし、名乗る前はにこやかに対応してくれていたはずの人が、私が名前を名乗った途端に嫌な態度を取ることもままありました。あの頃から四半世紀が経った今、世の中はマシになって欲しかったのですがそうはならず、官製ヘイトスピーチが跋扈し、ますます生きにくくなってしまいました。ネットを開けば罵詈雑言の嵐、さらには在日特権などというありもしないデマが横行し、あったことをなかったかのように歴史を改ざんする流れが潮流ときています。私は、心底普通に生きたいのだと、名前を名乗った途端に叩かれたりすることなく、まっとうな歴史認識のうえで、当たり前の権利を行使できる生活がしたいと、直子さんの質問には、正直に答えました。どう受けとられるか非常に心配したのですが(歴史的事実の共有がないと好意的にうけとってもらえることは残念ながら稀であるため)、直子さんは2021年6月にセッションハウスギャラリーで開催される予定だった「表現の不自由展」に際し、当時攻撃してきた右翼へのプロテストのご経験をもとにお話ししてくださいました。本当にこころ強く思いました。同時にメンバーの方々に「こんなに辛いからわかってよ」という風に捉えられてしまっていたらどうしよう、という懸念もありました。
しかし、その懸念は、皆と踊ることを通じて払拭されていきました。質問の翌日から、2021年の東京の空の下、私たちはダンスを通じた擦り合わせを行くことになったわけですが、とても得がたい経験になりました。舞台のうえではフォーメーションを組み、私たちの大きな共通の敵に立ち向かいました。直子さんは、ただ踊ることを許しません。スクラム組むことひとつ、ペアで踊ることひとつ、相手への信頼がないと成立しない。否応なしに関係性の変容
を迫られるのです。「路地裏」と言うあるシーンでは、「祈り」をテーマに、各々の祈りのかたちを身体で表現していきました。人間の持つ特性のひとつが「祈る」ことだと思うのですが、私たちは多くの時間をかけて「路地裏
の祈り」を作り上げました。合理性から遠く離れて(そもそも祈るということは非合理的なものですから)祈る身体とは?踊ること、あるいは踊らないことの必然性は?私たちは多くの時間を共有しました。そして、それら言語化できない領域へのもやもやしたものだけが、私たちを舞台に立たせたように思います。
私は普段、劇団に所属しお芝居をしています。殆どの演劇は「せりふ」という道具を使います。しかし、ダンスは「身体」と言う道具を使います。これもまた、個人的には「越境」するに相応しいインパクトとなったわけですが、しかし、お客様の前で、他者と一緒に舞台に立つことのために行う作業に、演劇もダンスも、何ひとつ変わりはありませんでした。改めて、ことば(せりふ)も身体も不可分であることを感じました。そしてまた、私たちはいつだって越境する身体を既に持っているのだと、希望を新たにするのでした。
鄭亜美
ヴォイス・オブ・セッションハウス2021より抜粋