ヴォイス・オブ・セッションハウス2021 ガーデン活動報告
ガーデン活動報告
セッションハウスの 2F ギャラリー【ガーデン】では、2021 年も自主及び共同・協力企画のほか、レンタルの展覧会、トークの会、クロッキー会などの活動の場となった。
自主及び共同・協力企画の軌跡
1月 9日〜 15日 木村浩之展 +あとりえカレリア作品展
1月 25日〜 29日 第 5回わわわ俳句展(T)
2月 6日〜 14日 オリンピック終息宣言展
3月 9日〜 15日 チャリティアート展「神楽坂から福島へ」
3月24日〜 4月4日 ツーゼ・マイヤー展
5月 7日〜 16日 合同美術展「ディストピアの到来に抗して」
5月 17日〜 23日 森田わかえ展(同時開催・豊田紀雄顔展)
5月 25日〜 30日 豊田紀雄&コレクション展
7月 9日〜 15日 巴里祭に寄せたアート展 (T)
7月 23日〜 24日 早大書道会平成 22年度卒会生同人 「くだん」
10月 18日〜 26日 横山近子展「Jomon」
10月 28日〜 31日 ポリオの会会員作品展「ポリオとともに」
11月 5日〜 7日 21歩展
11月 9日〜 14日 F展 vol.5
11月 19日〜 24日 合同美術展「百花」(T)
11月 21日〜 12月 1日 ノエル展(T)
12月 8日〜 12日 それぞれの Works展 (T)
※(T)は演劇美術社の豊田紀雄氏の制作企画
※吉田卓史主宰のクロッキー会は 23回開催
※渡辺一枝トークの会「福島の声を聞こう!」は 3回開催
ヴォイス・オブ・セッションハウス2021より抜粋
【ガーデン】もコロナ禍でいくつかの企画が中止になったり、延期になったものの、2年目となって感染対策を徹底したことから、前年よりも実施企画が増えたと言えよう。
だが昨今の世界はパンデミックや戦争の危機が続く中にあって、分断化が進む一方で監視社会化と同調圧力が強まってきていることから、『ディストピアの到来に抗して』と題した合同美術展を開催。また日本では第二次世界大戦後1949年頃に全国各地で罹患者が出て以来、1時期大流行したポリオをいう感染症があったが、今なおその後遺症に苦しんできた方たちの作品展が開かれたことと共に、大きな問いかけをする企画展だったと言えるだろう。 この2つの合同美術展について、企画のまとめ役をして下さった大野修さんと小山万里子さんから寄稿していただいた。
大野 修(自由美術)
合同展「ディストピアの到来に抗して」を終えて
ネーデルランド(現オランダ)の画家ブリューゲルに死の勝利と題された絵がある、この風景は500年前のものなのか?私はこの3年におよぶコロナが席巻している世界を想像させる。ここには腐敗、欺瞞、殺伐、戦争の匂いに満ちていて、描かれている100近い人間、器物は互いに不信ということでつながっている。全ての人間がマスクをつけバラバラにされつつある今を思う。後日になって今を回想しそんな時代もあったな、それとも、大厄災の予兆だったのだと思い知るのか。
2021年5月セッションハウスで開かれた『ディストピアの到来に抗して』展は伊藤孝さんが企画された。呼びかけ文に「ソーシャル・ディスタンスのかけ声の下に、私たち一人ひとり分断されつつある世界に立ちすくんでいる」という言葉があり、私全く同感。案内状はブランカさんの秀逸な写真、出品者はいろいろな分野から10人、年令も20代から80代で初めて顔を合わせた人も多くそれぞれ特異な作品で、私はたくさん得るところがあった。作品を見て、話をして、共通分母とするところは、人と会う機会が少なくなり、マスクはいつとれるのか、生活が削りとられてゆく不安だった。
これを出品された方の言葉からひろうと、近藤あき子さんは『逃走』という作品でジョージ・フロイド事件をとり上げ、彼が最後に残した「息が出来ない」という言葉は、まるでこのコロナ禍の中で息苦しさを感じている私達自身の言葉のように思えた。また香港の中国化の後は、ミャンマーの軍政復古、日本では入管という名の牢獄の悲劇などで、日々悪夢のように続いた現実、そこに目を凝らせばディストピアとはこの世界のことだとわかる。逃走は容易ではない。しかし諦めずに発信を続けたい。小倉信一さんは、この時代にめぐりあった人間として、そして証言者として、紙に素描をハンティングしていく行為は、この時代の「時間」をその行為性の中に確認する作業でもあるのだと思えた。丹野有美子さんは「美術は薬にも医療にもなりませんし、歩けぬ人の手を取って前に進むことも出来ません。でもそこに現れるものが、人と人を繋ぐものとして受け取られることが出来たら、共感を覚えることが出来たらうれしい」というコメントを書かれていた。
私も思う。密になるな、会話を控えろ、抱き合うな、触れるな、この同調圧力風のつよさ。しかし常民は密にならねば生きていけない、生活が成り立たない。リモートで仕事ができる人、人里はなれた別宅に行ける恵まれた人はどのくらいいるだろう。今やマスク無しで歩き回ると犯罪者だ。この展覧会ではお互いに作画のことを大いに語り合った。絵だけでは見えてこなかった所をたくさん発見、来場者共々楽しく又心強い時間を持てた。絵は見者の批評も加わり自作共々話していると見えてくる来るところがあり、見て下さるたくさんな人から話も聞けた。ドイツやフランス、南米、韓国、中国の美術事情、コロナ禍の大久保の今など。共通しているのはこれまでなんとか押し込められていた世界の歪みが解きはなされたことだった。徘徊していて、絵を描くことも含めて暮らしの先が見えてこない不安。コロナウイルスにはマスク、手洗い、うがいしかなく果てが見えない不安、厄災のあとに戦争まで起こったことからくる不安な予兆。でもこの展覧会を通して、希望をすてないでこの時代に何があったのかを、ささやかながらでも作品の上に残したいと思う。この国は古い言葉だけど星菫派(せいきん)も変わらず隆盛でその風潮にも抗していきたい。
今五輪祭典でのサマランチ会長のそらぞらしい挨拶を聞き終わり、この文章を書いている。現実と乖離した言葉は腹が立つというより怖い!
※「星菫派」とは、時には恋愛や甘い感傷を詩歌にうたった感傷的な人達のことを揶揄して使う言葉である。
ポリオの会会員作品展
「ポリオとともに」で見いだされたもの
ポリオの会責任者・小山万里子
新型コロナウイルスに人々が怯え、感染者を忌避し、ワクチン接種を急ぐ姿は、保健所が、ポリオ ( 脊髄性小児麻痺 ) 患者が出た家の前に綱を張って出入りを禁止し辺りを消毒した状景を思い起させる。1950 年代から 60年はじめの日本だった。
ポリオの会は、ポリオに罹患しそういう状況の中を生きてきた患者の会で、ポリオ患者をもうこれ以上 1 人も出さないように、また、今ではほとんど忘れられているポリオという病気がいかに患者の人生に重くのしかかっている
かの理解を求めてきた。ポリオ後症候群という、ポリオ発症後十数年から数十年して新たに障害が重度化する疾患への認識と医療も求めてきた。1995 年の 12 月の患者会結成から、必死で駆け抜けてきた。
今回セッションハウスのご協力で実現したこの作品展は、コロナ禍でポリオの会結成 25 周年記念イヴェントが見送りになったあと、画家として活動している丹野有美子さんら 3 人の女性会員が、どうせならポリオをテーマに 3 人展をやろう、と語り合ったのが発端だった。
その後、発起者がそれぞれ病気に見舞われ、一時はもうあきらめようと思っていたのが、それならば、ポリオの会会員の作品展に切り替えることで、このポリオの会会員作品展「ポリオとともに」が実現した。発起人の一人は、作品展までは何としても生きたいと願い、かなわず、遺作が展示された。そういう混乱状態の中、まったくの素人が事務局となって試行錯誤しながら始まった企画で、セッションハウスの協力によりこの作品展が開催できたのだった。
当初は、作品が集まるだろうかと思っていたが、結果、沖縄から、四国から、東北からと、各地から、絵画だけでなく、書、陶芸、人形、写真等々の出展があって、会員同士、お互いの存在や生き方への新たな目が開かれたことは大きな成果だと思える。
ポリオを生きてきたそれぞれが、この作品展で、自分はこれが好きでこう取り組み打ち込んでいる、しっかり生きています、と高らかに宣言しているような気がする。それは出展の会員だけでなく、訪れて作品を鑑賞した会員も同じだろうし、また、訪れてくださったお一人一人にも思いを受け止めていただけたと思える。そして、「障碍者の」などの枠をかぶせることなく、素晴らしい作品が並び、それを多くの人が見て評価して下さったことがうれしかった。「毎年は無理でも、何年かに一度、作品展をやりたい」という声があり、実現したい。
数多くの疾患の一つで、しかももう日本で新たな患者が出ない疾患だからこそ、こういう場をいただくことで、少しでもこのポリオという病と闘ってきた歴史を理解していただければと思っている。世界でのポリオ根絶、つまり最後のポリオ患者が息を引き取り地上からポリオウイルスの痕跡が消えるその日まで、ポリオ根絶を訴えていきたい。
編集後記
2022 年になって間もなくウクライナで苛烈な戦争が勃発し、文化的な活動をしている私たちにもそのことをどのように考えて向き合っていけるのか、いけないのかと、大きな問いを投げかけられている。
ともすると文化は平和的なものであると考えがちであるが、いつの世にも戦争を肯定的に表現する文化というものがあったし、それに抗う文化もあった。日本でも先の世界大戦中にも真珠湾攻撃に喝采した文化人も数多くいたし、言動が断罪されて獄につながれ自由を奪われた文化人も多数いたのである。忘れてはならない歴史であろう。文化は平和的のものとして安住することなく、私たちは世界の動きに目を向けよく考えながら活動していかなければならないであろう。(T・I)
編 集:セッションハウス企画室(伊藤 孝、上田道崇)
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