小野木豊昭 コラボレーションへの期待 Voice of Onogi Toyoaki

小野木豊昭 コラボレーションへの期待 Voice of Onogi Toyoaki

セッションハウスがある神楽坂は古い日本文化の香りもする地域ですが、古典芸能の制作者である小野木豊昭氏が中核となって、セッションハウスのダンス・プログラムとの連携を推進して下さっています。 その小野木氏からの熱のこもったメッセージです。

 

伝統芸能プロデューサー 古典空間代表:小野木豊昭

 

小野木豊昭 コラボレーションへの期待 Voice of Onogi Toyoaki

毘沙門天境内でのマドモアゼル・シネマ

 

少なくとも2020年までの日本の社会は、経済的価値を求心力に前進と上昇を繰り返してきたと言えよう。コロナ禍は、その勢いに急ブレーキをかけると同時にある暗示を与えたように思えてならない。前進と上昇を一時休止…「間」を置いて、後方と下方に視線を移し、過去に蓄積された足元に在る価値へ着目することである。蓄積こそ「伝統」という言葉に置き換えられはしないだろうか。

 

「神楽坂まち舞台・大江戸めぐり」(主催:公益財団法人東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京/ NPO法人粋なまちづくり倶楽部、助成・協力:東京都)というイベントが2013年より行われている。5月中旬の土日両日、毘沙門天善國寺、赤城神社、矢来能楽堂、ライブハウスから老舗店舗、また神楽坂通りと周辺路地ほか、神楽坂界隈が伝統芸能で埋め尽くされるのだ。箏、琵琶、三味線、胡弓、尺八、笛、小鼓、大鼓、太鼓…など日本の伝統楽器が奏でる各種音楽、舞楽、能、日本舞踊、そして講談、落語、浪曲、太神楽から手妻に至るまで、現在一線で活躍中の方々が、各所同時多発にて20分程度のライブが次々に展開される。伝統文化が息づく神楽坂という〈まち〉を舞台に、日常の中で接点が希薄となりつつある伝統芸能との“出逢い”を演出する東京都の文化事業でもある。中でも特筆されることは、神楽坂…まちの方々と共につくり上げるイベントであるということだ。

 

事前に伝統芸能の諸情報を学び、お客さまへの説明なども担当するコンシェルジュ、歴史ガイドやスタンプラリーのご案内などを担当するボランティア、また会場として各施設をご提供下さる皆さまほか、多くの方々のご尽力なしには成立しない一大事業にもなっている。今年で11回目を迎えるが、神楽坂の初夏の風物詩とも言えよう。

 

コロナ禍前は、毎回4万人前後のお客さまがご来場くださり大きな賑わいをつくり出していたが、ご多分に漏れずコロナ禍の煽りを受け、2021年は屋内で無観客配信による実施となった。

 

5月23日、セッションハウスでは、津軽三味線・尺八・ピアノ・ドラムス、四人の演奏家によるライブ・セッションを行った。 日本の楽器も西洋の楽器もなく、まさに楽しみながら音を紡ぎ出すことを信条としている腕利きのプレーヤーたちが、緊張と弛緩が反復される心地よい空間をつくり出してくれた。そして最後の演奏楽曲「こきりこ節」で、マドモアゼル・シネマの皆さんとのコラボレーションが実現したのだ。音楽と身体表現が呼応し合うことで、激しく昂まる内面が飾ることなく表現された。実に刺激的な創造で深く刻まれている。 お客さまとの対峙が叶わな

 

かったことが悔やまれてならない。 昨年は状況好転を受けて有観客での実施が可能となった。5月21日、場所は毘沙門天善國寺、本堂に上がる階段をステージに、低音箏である十七弦とのコラボレーションが実現した。祈りをテーマに繰り広げられた"会話"は、あたかも音とダンスがお互いの隙間を埋めつつ、差し伸べられるが如き救いの空間をつくり上げていたように感じた。何故か清々しい心持ちなった。箏とコンテンポラリーダンス、そして寺院、まさに三者が一体となったコラボレーションであった。

 

さまざまな事象がボーダレスになりつつある今、パフォーミングアーツの世界でもコラボレーションは頻繁に行われている。出自や背負った背景などを超えた表現同士が出逢い、刺激し合いながら新たな表現や作品が生まれることは、アートの存在意義そのものだ。一方、分断や闘争が現実の社会ゆえに、アートが果たす役割が大きくなってしかるべきである。異ジャンル同士で共感するテーマを共有し、テーマを求心力に協力を重ねつつ創造に向かう作業ゆえに、何らかのメッセージが生まれ、何かが伝わるのだ。

 

さて、伝統芸能…芸能の上に「伝統」という言葉が付加されることにより、とりどりのイメージが広がるようだ。伝統の重みと価値を実感する方もいれば、「難しい、古臭い、とっつきにくい…」などの思いを抱く方も多いはずだ。若い世代になればなるほど後者が現実であろう。言葉の壁、表現のスピード感、事前知識の必要性など、伝統芸能には"ハードル"が多々存在することを先ずは認めて取りかからなければならない。対して前者は「過去の日常文化の中から生まれた優れた表現や作品で、時を経ても、場所や言葉が異なっても、受けとめた人の明日を生き抜く精神の糧となり得るもの」と解釈するならば、しかもそれが日本の風土で生まれ培われたものならば、尚さらあらゆる世代を超えてその価値の共有を図りたい。

 

受け継がれるには理由がある。またそのプロセスで洗練が繰り返されて様式や型が出来上る。だからその様式と型にこそ、伝承の意味と本質を見て取ることができる。また様式と型は反復するだけではなく、新たな創造へのアプローチに応用することで、新鮮さを保ち同時代性を獲得してゆけるのだ。いずれにしても「面白く、楽しく、カッコいい」要素を、本質を見失わずにいかに抽出して提示するかが腕の見せ処と心得ている。とは言え正解はなく、実験と実践を繰り返すのみである。「神楽坂まち舞台・大江戸めぐり」は、伝統芸能との出逢いの場であると同時に、担い手にとっては現代的課題である〈伝承・普及・創造〉を実践する絶好の機会にもなる。次回は、邦楽囃子とマドモアゼル・シネマの皆さんとのコラボレーションを通して、「間」からのメッセージをお届けできたらと考えている。

 

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