Voice of Ito Naoko
1993 年セッションハウスの劇場専属のマドモアゼル・シネマの主宰者・振付家を続けてきた伊藤直子が、この30年に込めた想いを語ります。
伊藤直子『マドモアゼル・シネマの30年』
過ぎてみればあっと言う間。渦中にあるときはその時々必死な30年です。1993年、志を持つ女子たちが集まって立ち上げた「マドモアゼル・シネマ」という活動が、30年後も受け継がれているとは誰も想像もしていなかったでしょう。その時々の「踊りたい!」と集まった情熱が受け継がれての今日です。立ち上げた現場に現在もいるのは振付の私一人になりました。女性の人生を物語る流れです。30年たってやはりまだ女性は自分の意思だけでは継続が困難な立場にあるなあとしみじみと思います。一人では生きられない人生ですから、当然ながらたくさんの人と関り助けられ、それぞれの活動のあり方はそのままその人の人生です。続けてきた人はその努力が蓄積されて、いいダンサーになったなと誇りに思いますし、舞台に立つことはかなわなくなっても、マド時代を大切に思ってくれるダンサーたちの思いに励まされます。
カンパニー活動は同志であり、家族を超える分かち合いもあります。作品をどうしたら作れるのか分からず、ひたすらピナの「どう踊るかではなく、なぜ踊るか」に対峙してきた初期。どうやっても「マドはマド」と言われるところから抜け出さず焦ったころ。 目指してもいないのにまるで宮沢賢治の「雨にも負けず」になってしまう哀しさ。ホメラレモセズ クニモサレズ、それでもせっせと作品に向き合い、何回も作り直す間に見えてくるものがありました。言葉にするとダサいのですが、人の命やその人のからだが誰でもないその人として輝いて見えてきます。ひとり一人かけがえのないたった一つの命だと、当たり前のことがダンスを通して知ることで光として感じる不思議に出会いました。
今も日々クリエーションに、今いるダンサー達と取り組みます。日常のからだしか持っていなかった若いダンサーが、非日常の身体で動き出すときの面白さや、感じる喜び。ピナが言った「なぜ踊るか」と向き合ったダンサーが舞台で生き始めると、ミンナニデクノボートヨバレテモ ソウイウモノ二ワタシハナリタイ!とダンスをする喜びでいっぱいになります。もう踊らない私は、人のからだを借りて体感します。観客1号がマドモアゼル・シネマの振付の立ち位置、創るときには目に見えない「観客」という存在が創作の原点にあります。
小劇場として活動できる最低の設備を備え、ダンスのための小劇場、ダンスの場を作ろうと1991年セッションハウスを設立した私たちと、レジデンスカンパニーを作ろうと立ち上がった女性達が協働した結果が今を作っています。現実はいつも厳しく、反比例するように踊るからだに感動し、苦しみも忘れて過ごした30年。ダンスにはそんな力がありまして、照明も音響も美術も衣裳も制作も舞台を作るスタッフ皆が励まされ支え合ってやってきたように感じます。
伊藤直子
ヴォイス・オブ・セッションハウス2023より抜粋