私とマドモアゼル・シネマ ? 30 周年に寄せて
マドモアゼル・シネマの 30年間大勢のダンサーが参加してきましたが、最も長く在団している竹之下たまみが、その想いを寄せてくれました。
私とマドモアゼル・シネマ - 30 周年に寄せて 竹之下たまみ
20数年前、舞踊の大学・大学院に進んだはいいが、卒業後も踊れる環境を作るにはどうすればよいかと右往左往していた頃、大学の先輩である勝部知子さんが踊っていたマドモアゼル・シネマを見た。マドの作品初見の感想は、いろんなタイプなダンサーがいるなぁ、使っている曲が好きだなぁ、という単純なものしかなかったが、まずは定期的に体を作る場所を求めて直子さんのクラスに参加してみた。
ダンスのみで生活することの難しさを感じていたが、仕事をしながらでもダンスを続けている直子クラス、マドダンサーの姿を見て、大変だけれどもそのように生活している人がいるならば、私もできるかも、と卒業後の方向性を定めた。そして社会人1年目の夏に初めてマドモアゼル・シネマの公演に誘われ参加した。それがマド10周年の公演だった。 マドのダンサーは仕事+ダンス+スタッフの3足の草鞋を履いて生活している。 最初の頃は就職先の業務に慣れるのに必死で、両立の厳しさを感じていたが、慣れてくるとその生活が日常になっていった。
幸いなことに環境と体力に恵まれてこれまで続けることができた。 女性の生き方はダンスだけではなくどのような仕事においてもライフステージに左右される。マドもそのような理由で続けることができなくなったダンサーも少なくない。 違う現場を求めたり、自分のスタイルで踊りたい、という理由で退団したダンサーもいる。今まで縁あって携わってきたダンサーそれぞれの人生が少しずつクロスして皆で繋いで成長していった30年のように思う。 私自身は、44歳で亡くなった野和田恵里花さんの年齢までは続けよう、という目標を密かに持って続けていた。
その年齢も超え、あちこち怪我をしつつも持ちこたえ、気づけば今年、年女。 永遠はない。が、レッスンの度、舞台の度に楽しさ悔しさも含めて新しい発見があると、もうちょっと頑張ってみようか、と奮い立たせる。2024年も新しいことに挑戦しているマド。三十路のマドモアゼル・シネマもよろしくお願い致します。
竹之下たまみ
ヴォイス・オブ・セッションハウス2023より抜粋