伊藤直子『35周年に向けてーコロナ禍からの脱却、そして継承する「劇場という存在」』

35周年に向けてーコロナ禍からの脱却、そして継承する「劇場という存在」

1991年のセッションハウスの創設以来ダンス・プログラムの企画監修と劇場専属のマドモアゼル・シネマを主宰してきた伊藤直子が、35年間ダンス企画に籠めた想いを語ります。

 

伊藤直子

 

2020年、やっとたどり着いた30年目があった。翌年まで企画や予約で毎週末埋まり、平日のダンスクラスにもダンスを必要とする人々が集まり、バレエクラスの子どもたちも目的に向かってかわいい夢をいだいていた。「やっとここまで来た」、そう思った年明け、30年目の1月。その日常が根こそぎ壊れた。設立以来続いた苦しみながらの返済も終わり、スタッフ、マドモアゼル・シネマダンサー、近藤良平さん、企画室理事が揃ってささやかな祝宴をあげ、これからのセッションハウスの継承について考え、呑み、笑い、祝いました。

 

2月、あちこちでコロナの恐怖が語られはじめ、3月マドモアゼル・シネマ公演をおしまいに、セッションハウスも街も固く閉ざされた。不要不急、必要とされないものとされ、全てストップ。誰も来ない地下で、茫然と恐怖の日々を過ごした。

 

5月若いスタッフとダンサーが立ち上がった。オンライン配信という言葉を初めて聞いた。集まれなくてもダンスを届ける手段があると知ったよろこび!柿崎麻莉子さんが名乗りを上げて舞台にすっくと立ち、最初の一燈がつき!私たちは皆そっと涙しました。

 

今35年間で一番の喜び!と考えても、30年目の大きな試練から後の事しか思い出せない。あそこで大きく変わった様々な価値観に、現実にどのように対応するか、世界中の人々が直面したように、私たちも必死で混沌の中を今日までやり抜いてきました。

 

そしてやっと昨年海外公演の道がふたたび開き、アメリカに行きました。「公演をする」ためのP3ビザ取得に大苦労。作品が『女は旅である』、祖母が写真花嫁として移住した時を物語るものであったことも運命。「夫の呼び寄せ」というビザでアメリカに渡った祖母の体験を、様々な困難と分断を抱える現在のアメリカで伝え大きな共感を得たことは、30年目から今日まで、もがくように現実に向き合ってきたことへの、これは天からのご褒美と感じた。

 

35年前、考えてみればいつまでやるなど考えたこともない突撃的な出発であったし、今日まで続けてきたことの方が奇跡。そして今、何も知らずに始めた「劇場という存在」の価値や可能性を感じ、協働してくれる人が周りにいる!その事実に感謝します。共有するその価値観をどのように継承していくかが、これからの作業!

 

不要不急は極めて人間らしい営みの総称でありました。命と向き合って自然の中を生き抜くいきものたちと違い、無駄な事を楽しみ、喜ぶ術を知った人間。ダンスはそんな人間たちのものだなあと今しみじみ思います。それを守り抜くには命がけの無駄。

 

多様性の中にある現在の私たち、人それぞれの価値観があると出会うコンテンポラリーダンスが諭してくれて。”カラダひとつと想像力”だけのダンス。その表現と表現者たちに出会い、共に小劇場の大きな夢を抱いてきました。

 

ヘタヨロ期真っ只中、紆余曲折を重ねながら今日もまだ途上を歩きます。80歳の覚悟を、そろりと、ここに。

 

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