北尾亘『Liveで踊ることの大切さ』

Liveで踊ることの大切さ

数多くの舞台で活躍している北尾亘2025年には笠井瑞丈のナイトセッションや笑いをテーマした「ダンスブリッジ」に出演し、ユニークな舞台を見せてくれました。その彼にライブで踊ることの面白さと大切さを語ってもらいました。

 

北尾亘(Baobab主宰)

 

セッションハウス創立35周年おめでとうございます!これだけの長きに渡って[ダンスを育み新たな表現を発信し続ける場所]として多くの方に愛され続けていることに尊敬と感謝の念でいっぱいです。またコンテンポラリーダンス界の希望だとも(生意気ながら)感じております。こうした発信地になることは私が主宰するカンパニー“Baobab”の目標とするところでもありますので、約20年後輩として、これからも大きな背中を追いかけさせて頂きたいです!

 

18歳の大学入学当時、ミュージカルやストリートダンスの世界で育った私にとって、未知なるコンテンポラリーダンスとの出会いは衝撃的なものでした。20年経った今では信じられないほどに知名度を得たと感じます。MVで踊られるものを目にしたり、アウトリーチ(出前WSのようなもの)で出会う子供たちの中から「コンテンポラリー知ってる!」と声があがったり!ジャンルの定義がない懐の深い世界で、それぞれのダンサーやクリエイターは何を持って“コンテンポラリー”を自認しているのか?そんな事が気になりつつある昨今です。

 

私自身はといえば、常に「新たな表現」を探し続けることをテーマにしています。それは振付のムーヴメントの流れやカウント取りであったり、即興的に踊る中での一瞬一瞬のディティールであったり、長編作品の中での演出や構成における新鮮さや意外性であったり、作品そのものの主題選びであったり。常に「既視感と闘い続けるような感覚」で新たな表現を探し続けています。

 

昨年参加させて頂いた“笠井瑞丈night session live『09』”では、ベートーヴェン第九全楽章を踊る中での大半の時間を「新しい発想を!次のムーヴには裏切りを!」「この空間選択で良いのか?」「既視感っ、ヘタクソ!」と目まぐるしく自問自答していました。新たな表現を探し続けることは時に過酷を極めます。(笑)

 

この性分は飽き性且つ捻くれ者な面も影響していると思いますが、多くは、恩師である“木佐貫邦子さん”の教えによるものです。まだコンテンポラリーの右も左も分からぬ頃、師は「疑いを持ちなさい」という大粒の言葉の種をくださいました。踊るうえでは常に、自身の感覚の片隅に「これで良いのか?」という問いを持つこと。稽古や修練で積み上げた事だけに安住しない感覚を養うこと。この種はやがて、作品創りにおいても大きな根(核)になるまでに育まれています。私を形成する大切な“言の葉”です。ダンスブリッジ2025へ岡本優さんとの共作デュオ『アイコニック』で参加させて頂いた際にも、このテーマはクリエーションにおける重要な役割を果たしていました。「笑い」という公演全体のお題に対して、演出における“緊張と緩和”を意識し続けていました(二代目桂枝雀さんの言の葉に習って)。笑いにおける“フリ”と“オチ”は、裏切りによって生まれるものだと感じます。いかに観客や自身の発想を裏切ることが出来るか?これこそ常に(Baobabでも)大切にしている演出感覚なのです。そういった意味で、笑いと自身の価値観との親和性の高さを改めて知る良き機会を頂きました。「予想を裏切りながら、期待に応えること」、私自身にとってのコンテンポラリーダンスはそんな中にも存在しているように感じます。

 

数多の情報が渦巻く現代。目まぐるしく情勢が変容する社会。その只中で、「コンテンポラリー=現代の/同時代の」と名を冠したダンスには何が起きるのか?或いは起こせるのか?そして何が出来るのか?

 

もう一つ大事にしたい感覚は、「LIVEである事」です。生身の人間がカラダを躍動させるダンサーと、それを目撃してくださる観客が同じ時間と空間を共有するLIVEな空間。そこには、YouTubeでは手に取れない・TikTokでは味わえない奥深さが存在していて欲しい。Dリーグの圧倒的なパワーやプロフェッショナルも良いですが、時にはセッションハウスのような間近な距離で1人の人間の姿を吸いも甘いも(技術からエラーまで)体感したい。一ダンス観劇ファンの想いでもあります。そして願わくは、「その空間で起きた出来事(=ダンス・作品)が見届けた観客の生活までも侵食していって欲しい」とも思います。かつて師の薦めで初めて観劇した野田地図/NODA MAP『ロープ』(2006)に衝撃を受けて、私はそれまで志していたミュージカルの道を断ちました。ショーエンターテインメントを凌駕する圧倒的な現代演劇の秀作に、席から立てなくなり、何日も、何ヶ月も、半年以上経ってもふとした生活の隙間で、作品世界と日常の間(あわい)を行き来した肌感覚を今でも覚えています。そこからコンテンポラリーダンスの世界の傾倒していったのは、「いつかこんな現代に訴えかけるスペクタクルを創りたい。刹那的なエンターテイメントだけではない本質を描きたい」と想うようになったからだと思います。

 

せっかく“現代の/同時代のダンス”なのだから、他ジャンルの真似事ではなく、既成作品(小説や戯曲、絵画、音楽)や歴史的事実“だけに”捉われない作品創りをしたいものです!現代に、生活に、社会にアクセスするダンス=本当の意味での“コンテンポラリーダンス”を探し続けています。日々の生活の中に、時代の潮流の波間に、新たな表現はきっと存在している。そしてそれに気付く(或いは体感する)作品を求めている観客が、私と同じように存在することを願って。少し熱くなってしまいました。

 

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