セッションハウスと名付けたのは
総合プロデュサー伊藤 孝
1991年に現在の小劇場を始める時にどのようなネーミングにするのか思い悩んだ末に出た来たのは「セッション」と
いう言葉でした。私が大学生だった60年代の頃はアートブレーキーらのファンキー・ジャズが大流行しており、私もよく新宿などのジャズ喫茶に入り浸っていました。そしてその後就職した放送局(TBS)の仕事で出会ったトランペット奏者の沖至さんやドラマーの中村達也さん、ピアニストの板橋文夫さんらのジャズメンのコンサートやラジオ番組の企画制作していました。その時に使っていた言葉が「ジャムセッション」という言葉でした。そして当時セッションハウス創設前にも伊藤直子やアメリカのダンサーのニーナ・ディプラさんとジャズ・ミュージシャンとの共演も数多く実施していました。
「セッション」という言葉には「集まり」という意味があり、人と人が寄り集まって自由に語りあうことです。これから劇場を始めようとする時に、その場がダンサーやミュージシャンなどのアーティストが集まり自由に音や声を出したり踊ったりする場所にふさわしい言葉だと直感的に思い至ったのでした。
また「セッション」の後に「ハウス」という言葉を付けたのは、第一次世界大戦後の1919年にドイツ東部のヴァイマールという都市に設立された工芸・写真・デザインなどに美術と建築に関する総合的な教育をしていた「バウハウス」という学校の名前から思いついたからでした。しかしこの学校は不幸なことに1933年にナチスによって閉校の憂き目にあうことになりましたが、大勢のユニークなアーティストを生み出していたのです。そうしたことから「セッション」という言葉の後に「ハウス」という言葉と合体させて「セションハウス」という名前を付けた次第でした。
創立後も板橋文夫さんと尾本安代さん、沖至さんやベース奏者の井野信義さんらと笠井叡さん、近藤良平さん、ベース奏者の齋藤徹さんとヴッパタール舞踊団のジャン・サスポータスさんといったライブ音楽とダンスのセッションも数多くやってきたのでした。



